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2020年4月19日日曜日

AlphonseThomann アルフォンス・トーマン 自転車フレーム その2

Alphonse THOMANN 1927年モデル
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Alphonse Thomann アルフォンス・トーマン というのは、どんなブランドなのか?
時おり、思い出したようにネットで調べてみてはいるが、いまだに良く分からない。


1940年代のダニエル・ルブールの本「la Pratique du VELO」の裏表紙に
公告が載っているのは知っていた。






fr.wikipedia.org を見ると、
 A. THOMANN という会社と、
 THOMANN というファーストネームの無いブランド
の2つがあったらしい。


THOMANN家のAlphonse アルフォンスとJean ジャンは兄弟で、二人ともビルダー。
その二人が1908年に立ち上げたのが、A.THOMANN et Cie 社。


資金繰りが悪化したか、二人の経営方針の食い違いか、理由は不明だが、
数年でTHOMANNブランドを大手ディーラGENTIL et Cie社に売却したらしい。


大手ディーラの子会社になったTHOMANN et Cie社の1913-14年ごろのカタログ。


このカタログを見ると、フレームやフォークだけでなく、
クイックレリーズのような機構も、すでに取り入れていたように見える。


ツールドフランスなどレースでチームを編成し支援していたのは、
資金力あるこのデーラーブランドのTHOMANNだったようだ。




一方、Alphonse アルフォンスとJean ジャンは、
THOMANNブランドを売りとばした後、
またそれぞれ自分の名前のブランドを冠した自転車を世に出している。



これは1927年のAlphonse THOMANNのパンフ


このTour de Franceモデルは、ラグがない。


手持ちのフレームは、ヘッドチューブにラグがある。
シートステーの接合部やエンド、それにヘッドパーツは似ているようだが、
フォーククラウンあたりもちょっと違う。





tontonveloフォーラム では、
2011年から足掛け7年かけてまったりと議論が進んだ結果、
 A. THOMANN
 THOMANN
 Alphonse THOMANN
 Jean THOMANN
の4つの自転車ブランドがあったようだという結論に落ち着いている。



ーつづくー

2020年3月15日日曜日

AlphonseThomann アルフォンス・トーマン 自転車フレーム

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今から10年位前、eBayのフランス版を眺めていて古い形のフレームが目にとまった。



出品者は、それまでに何回か買っている馴染みのフランス人だったので、
これもまた自分に向けて出品しているように思えてしまって、
手元に引き寄せてしまった。








衝動買い、というほどでは無かった。
なにせ送料が購入価格の倍近くもしたので、丸1日くらいは逡巡したかな。


逆に言うとフレームそのものはその程度の値段だった。
部品を組みつけたことがない未使用品なのに。


この十何年、eBayフランスでビンテージ自転車とその部品をずっと見てきたが、
当初は今から比べるとずいぶんと安かったなと思う。



ヘッドパーツは、わずかに金色がかったメッキ

厚めのラグには鍵穴型の装飾

手書きの金線

フォーク金具は中央に向けてくびれる形状





BB周りはラグレスでの結合。

そして注油用のネジ。







エンドは逆爪。

どうもロード用フレームのようだが、キャリヤ用のダボ穴もある。







ーつづくー


この記事は、2009/6/20(土) 午後 10:37にyahooブログに掲載したものを元に
新たに書き換えたものです。

2020年2月22日土曜日

春の自転車ファッション マリークレール 1943年 その9 マギー・ルフ

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マリークレール
Marie Claire
1943年5月20日号
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マリークレール 1943年の「自転車のクチュール」です。













[ここから](茶色の文字が解読結果です。)



青地に縞柄のレーヨン製自転車ワンピースローブはマギー・ルフ

トップは丸い肩ラインにちょうちん袖のブラウスシルエット


ボトムはアイロン不要のフレアなキュロットスカート



斜めがけの革バッグも自転車向きですね。
若々しい感じで色付けしてみました。





-つづく-


本記事は、2012/3/12(月) 午後 7:01にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年2月21日金曜日

春の自転車ファッション マリークレール 1943年 その8 ギャルヴェン

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マリークレール
Marie Claire
1943年5月20日号
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マリークレール 1943年の「自転車のクチュール」です。














[ここから](茶色の文字が解読結果です。)


Garven ギャルヴェン

赤いウールのワンピースローブ

プリーツが大きい箱スカートは

前と後ろのパネルでキュロットに見えないデザイン

麻のジャケットは、ラベンダーブルー




この時代のフランス自転車は、
ナンバープレートみたいなのが後ろに付いているものも多く見かけますね。


ギャルヴェンというファッションブランドは、ネットで見つけられませんでした。
今はもうないのでしょうか?



-つづく-


本記事は、2012/3/11(日) 午後 5:52にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年2月16日日曜日

春の自転車ファッション マリークレール 1943年 その7 モリヌー

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マリークレール
Marie Claire
1943年5月20日号
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マリークレール 1943年の「自転車のクチュール」です。

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[ここから](茶色の文字が解読結果です。)



スコティッシュライトブルーとネイビーブルーの格子柄。

このお洒落なお仕立てウールローブはモリヌー。

クラシックなブラウス、
キュロットスカートは腰のあたりからプリーツがしつらえられたデザイン。

ベレー帽も同じ生地で統一感を演出。



ヘンリー・エドワード・モリヌー
イギリスのファッションデザイナー兼調香師。
1919年、パリのロワイヤル通り14番地に自分のオートクチュールハウスをオープン。
だそうです。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Edward_Molyneux



-つづく-


本記事は、2012/3/10(土) 午後 5:35にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年2月15日土曜日

春の自転車ファッション マリークレール 1943年 その6 ブリュイエール

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マリークレール
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1943年5月20日号
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マリークレール 1943年の「自転車のクチュール」です。

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[ここから](茶色の文字が解読結果です。)


ブリュエール


大きな襟のダークブルーのウールコートを、スーラ絹のワンピースローブの上に羽織る。
青ストライプが自転車にぴったりの爽やかさ。

トップはブラウスデザイン、

ボトムはストレートなシルエットのキュロットスカート。



春は時折寒い日もあるので、こんな春コートも便利かも。
フロントフォークに取り付けたスピードメーターがいいですね。



-つづく-


本記事は、2012/3/8(木) 午後 7:51にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年2月13日木曜日

春の自転車ファッション マリークレール 1943年 その5 マルセル・ドルモイ

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マリークレール
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マリークレール 1943年の「自転車のクチュール」です。

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[ここから](茶色の文字が解読結果です。)


このラブリーな自転車の装いはマルセル・ドルモイ

ホワイトニットに金ボタンのオーソドックス ジャケット

前からの見るとキュロット形の青いウールスカート






-つづく-


本記事は、2012/3/6(火) 午後 7:57にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年2月11日火曜日

春の自転車ファッション マリークレール 1943年 その4 マギールフ

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マリークレール
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マリークレール 1943年の「自転車のクチュール」です。

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[ここから](茶色の文字が解読結果です。)


このチャーミングなキュロットワンピースはマギー・ルフ

黄色地に黒ストライプのシャンタン生地

トップはブラウスタイプ、
ボトムのキュロットは、フラットプリーツのストレートスカートシルエット




色を付けるとこんな感じ?




マギールフは、ベルギー出身のファッションデザイナー。
1896年生まれ。
1929年に高級仕立て服マギールフ創立。 だそうです。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Maggy_Rouff



自転車は、ハンドル形状に沿わせたロッドブレーキレバー。
板のサドルベースが軽やかさを演出 かな。




-つづく-


本記事は、2012/3/5(月) 午後 7:37にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年2月9日日曜日

春の自転車ファッション マリークレール 1943年 その3 カルヴェン

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マリークレール
Marie Claire
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マリークレール 1943年の「自転車のクチュール」です。

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[ここから](茶色の文字が解読結果です。)


カルヴェン


栗色と黄色の斜めライン、
定番の白・グレー千鳥格子にはない解放感が浮び上る
ウールの自転車用ワンピースローブ

ひだが大きいギャザーなキュロットスカート
栗色の革ベルト、ゆったりスリーブ








カルヴェンは1945年創業のファッションブランド。だそうです。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Carven

でもここにあげたのは1943年ですから、創業前のしごとということになりますね。
(今まで読みをカルヴァンだと間違っていました。)



自転車の電装、ダイナモとライトも、
これまでSoubitez27と255かなと思っていたのですが、
拡大してみるとCIBIEにも似てるなと思えてきました。



-つづく-


本記事は、2012/3/3(土) 午後 6:41にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年2月8日土曜日

春の自転車ファッション マリークレール 1943年 その2 ブリュイエール

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マリークレール
Marie Claire
1943年5月20日号
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マリークレール 1943年の「自転車のクチュール」です。

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[ここから](茶色の文字が解読結果です。)


ブリュイエール ベージュ格子縞ツイードのコスチューム

肩の丸みがやさしく、それでいてベルトが凛々しいジャケット

ボトムは、ストレートパンツをひざ丈でカットしたシルエット



解説に合わせて手で色付けしてみました。




ブリュイエール(Bryuére)とは
デザイナーかブランド名でしょうか?

ほか、
まわりをパッと明るくする迫力のライトとダイナモ!
ひかえめだけれどおしゃれで頼もしいライトアタッチメント!
とは書いていませんでした。



-つづく-


本記事は、2012/3/2(金) 午後 6:39にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年2月2日日曜日

春の自転車ファッション マリークレール 1943年

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マリークレール
Marie Claire

1943年5月20日号
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今年(令和2年2020年)はまだ2月になったばかりですが、
いつもより暖かい日が続きますね。

そんな陽気に合った話題を再掲します。

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マリークレール 1943年5月20日号です。



これに載っていた自転車ファッション特集。



ファッションには全く疎くて、
バブル期に、1950年代、60年代ファッションが流行ったかな?流行ってないかな?
というようないい加減な感覚があるだけです。

これはさらに古い1940年代なので、当時何が新しかったのかなんて全く判りませんが、
怖いもの知らずで解読してみます。


なお、
 マリークレールは、1937年創刊の女性ファッション誌。
 発刊当時は週刊で、1954年から月刊になる
 1940年の途中から42年の途中まで一時休刊していた。
そうです。 (fr.wikiから)

なので、これは再開して間もなくの号という事ですね。



[ここから](茶色の文字が解読結果です。)


自転車のクチュールいろいろ


これからの季節にピッタリな自転車ファッション
オフィスやお出かけにもお洒落な装いがよりどりみどり


エレガントなワンピースローブや
プリーツ、ギャザー、パネルフリルをあしらって
フェミニンなシルエットを追求したキュロットスカートで
自転車でを楽しんでみてはいかが?



元の記事はモノクロなのですが、
オンラインソフトを使ってカラー化してみました。


肌色だけはしっかり着色してくれました。
その他は雰囲気だけですね


-つづく-


本記事は、2012/3/1(木) 午後 7:09にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年1月20日月曜日

ランドナーでの初ツーリング記録 おまけ 寝台特急日本海

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寝台特急日本海
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10年前に初ランドナーツーリングで青森へ行ってからその約3年後、
寂しいニュースが飛び込んできた。



鉄ちゃんを自ら名乗るほどには詳しくは無いのだけれど、
単純に電車・列車・鉄道は大好き。

ランドナーを運んで青森をツーリングした時も、あえて寝台特急で輪行した。



そんな忘れられない列車「日本海」が2012年3月17日で無くなったと
ニュースで知った。



京都駅0番線で出発を待つ日本海。



この列車にはA寝台とB寝台があって、Aの方が5,000円も高い。


どちらにしようか迷ったが、最初で最後かもしれないと思ったのでAを奮発。
今考えると適切な選択だった。



A寝台は真ん中に通路があって、左右の寝台は進行方向に向かっている。
発着時に揺れても、目が覚めにくいというのが5,000円の価値なのかも。



列車の外装に合わせた内装





ウイークデーだった事もあり、車両に数人しか客がいない。
狭い通路に自転車を置いても文句は言われなかった。







夜まではまだ時間がある。
確か琵琶湖の北側、湖西線を走っているとき。




各個室寝台の他に、車両ごとに一対だけ座れるスペースがあった。
朝5時ごろ、東能代でおりるためにこのスペースでスタンバイしていたら、
なんと車掌さんが起こしに来てくれたっけ!




帰りも青森駅から「日本海」に乗った。
乗客は往きより多かったが、
それでも横に置いた自転車が往来の邪魔になってこまるという事はなかった。








この列車が無くなると聞いてとても寂しい。


ちゃんと走りきれていない弘西林道にもう一度行くチャンスがあったとしても、
この列車に乗るところからはやり直せないからね。



どうしてくれるんだ日本海!



本記事は、2012/3/18(日) 午後 6:50にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年1月19日日曜日

ランドナーでの初ツーリング記録 その11

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下北半島 仏が浦
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10年前の初ランドナーツーリング、青森の記録。
陸奥湾を渡り、脇野沢から下北半島を攻めます。
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6:30、脇野沢から本州最北端の大間崎へ向かって下北半島の海峡ラインを北上。



「海峡ライン」という名前にしては、道はどんどん山へ分け入っていく。




でも時折、谷間から海を覗かせてもくれる。




小学生くらいの時、自転車がブームだったと思う。

自分の周りにも、日本一周したお兄さんの話などがちらほらとあった。
その時、自分の足で遠くへ行く事をカッコいいと感じた記憶がある。


50を前にして会社生活で一番の長期休暇を取ることができるようになった時、
この機会を逃さず自分もやってみたいと思い立った。


メインはもちろん白神山地の峠越えで、
せっかく初めての青森だから、聞いたことがある地名、
津軽半島、竜飛岬、下北半島、大間埼、薬研温泉、酸ケ湯温泉なんかに
自転車で立ち寄れたら最高だろう。

そんな思いつき自転車ツーリストを、
白神山地と青森はいい天気と厳しい坂で迎えてくれた。



でも、いい天気もそろそろ終わりの気配。



そこら中で、北限の野生猿の生活痕を見つけながら、山深い雰囲気の中を進む。





9:00 ゆとりパーキング到着。




持参の湯沸かし器でコーヒータイム。




と、この時、恐ろしいくらいに荷物を満載した自転車が
疾風の如く霧の中を通り過ぎて行きった。

あまりにも突然のことだったので、細かいところはよく判らないが、
オーストリッチの黄色いレインカバーが凄い迫力を醸し出していた。


1-2分でいいからどんなところを走ったか聞きたかったなぁと思う。
でもあれだけ荷物を積んでいると停止するのも大変だろう。
脇野沢発のフェリーに乗るため急いでいたのかもしれない。



今日は、この地点が最高点なので、あとは楽勝(のはず)。



仏ヶ浦を見学し、






すぐさま、標高200mくらいまで引っ張り上げられ、




恐山の一角らしき山に迫り、




また、漁港まで引きずり降ろされたりするパターンを数度、




予定の大間埼の手前、16kmあたりの佐井港で撃沈。




翌日から雨という予報を聞いて、これ以上走り続ける気力が萎えてしまい、
ここで自転車でのツーリングを終わりにした。



当初の目算では、このあと、
山中の「あすなろライン」というダート林道を越えて薬研温泉へ走るつもりだったが、
自転車を担いだまま交通機関を用いて、
大間崎、薬研温泉、酸ケ湯温泉をめぐり、青森駅から帰路に着いた。


もう少し執念があれば、
尻屋埼、八戸、自走して酸ケ湯温泉・八甲田山という軌跡が残せたかも。
でもまあ、中途半端も自分らしさと受け止めた。


自分的には納得できた自転車ツーリングだった。





10年後の今読み返して思う。
この自転車ツーリングは、当時は会社生活のリフレッシュのつもりだった。
でももしかすると、もっと大きな何かのわかれ道だったのかもしれない。




ーおわりー


本記事は、2009/6/6(土) 午後 5:17にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。