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2019年10月25日金曜日

生駒山地を越えて大阪まで

先の矢田丘陵一周コースからさらに足を延ばし、大阪まで出てみた。



法隆寺付近から生駒山地の十三峠へ向かう。


舗装路が通じているはずだが、
途中道を間違えて登山道に迷い込んでしまった。




こんなシングルトラックを押して進み、舗装路に飛び出ると大阪平野が。




気温も低けりゃ風も強い。めちゃくちゃ寒い!
正直、景色を愛でるどころではない。



ここからつづら折れの道を、向かい風ブレーキを最大限に使いながら、
大阪平野に飛び込むように降下。

耳がちぎれそう。 鼻水も止まらん。



何とか麓に降り、瓢箪山商店街で昼食。
その後、暗峠、榁木峠を例によって押し登って帰路についた。



朝6時に家を出た時も寒かったけど、今日は一日中寒かった。
面の皮がカチカチになってしばらく笑う事も出来なかった。



距離は、たぶん60km位。



この記事は、2010/12/25(土) 午後 4:54にYahooブログに掲載したものに、
加筆・修正し再掲載しています。

2019年10月22日火曜日

矢田丘陵をぐるっと一周

奈良県北西部の矢田丘陵を一周した。


平城京跡からサイクリングロードにのって南下し、
富雄川沿いのお寺で休憩。(川沿いは風がきつい。)




今日のエネルギーはコンビニのつぶあん大福。

年のせいか甘いものに目が無くって。




ちんたらと走って、矢田丘陵の南端の法隆寺に到着。
オフシーズンなのか人影もまばら。

奥に見える六角屋根が夢殿。
(手前の土塀がやばくないか? 漆喰でも塗ればいいのに。)



法隆寺参道の食堂ででっかい器に入ったうどんを食べる。
元気が戻ったところで、矢田丘陵の西麓を北上。



国道308号線に乗って榁木峠(むろのきとうげ)へ。

もちろん押し。 汗をかいてしまった。。。




平城京跡に戻るころには、日が傾きかけ。
夕焼けと大極殿。




なかなかのサイクリング日和だった。(推定40km)







この記事は、2010/12/18(土) 午後 7:08にYahooブログに掲載したものに、
加筆・修正し再掲載しています。

2019年10月11日金曜日

木津をランドナーで散歩

京都府南部のJR木津駅周辺。

最近は山を崩して宅地開発されてきたけど、
昔ながらの良い道、良い景色を求めて、ランドナーで探しに出かけた。


小雪のなか、集落の細い道を登っていく。
道の先の山の上に、火の見櫓と祠を発見。



ちょっと失礼して登らせてもらうと、
どんよりした雪雲の下、木津から奈良の盆地が見渡せた。
こんな所が残ってるんだ。 まだまだ知らなかった所もたくさんあるな。



まっすぐに区画整理された道も、先が見通せて便利だけれど、
木津駅裏、地形に沿ってうねうねと曲がりながら伸びる道をゆっくり走っていると、
寝る前にとりとめも無く思いを巡らしているような感覚が思い出されて
気持ちが落ち着く。



と言ってもだんだん寒くなってきたので、家への道に戻った。
散策時間2時間ほど。


この記事は、2012/2/18(土) 午後 5:12にYahooブログに掲載したものに、
加筆・修正し再掲載しています。

2019年10月6日日曜日

鷲峰山金胎寺へ

花粉やら黄砂やらの空気の濁りが徐々に薄れている気がしてきたので、
ランドナーで、鷲峰山金胎寺(じゅぶせんこんたいじ)へちょっと遠出してきました。



梅谷から大仏鉄道線路跡に入って、手入れの行き届いたタケノコ山を見ながら進みます。

(京都府南部はタケノコの一大産地。中には一本で万越えのものも!)



鹿背(カセ)山のそばまで来ると、目指す鷲峰山が見えてきます。

正面奥の台形の鷲峰山がです。



木津川にかかる恭仁大橋を渡り、旧道に入って山の中腹に沿う道を進みます。


途中の公民館兼バス停。




この先の和束(わづか)はお茶処。山全体が茶畑です。



ちょっと来ない間に和束茶カフェなるものが出来ていたので寄り道。

ここで、70g1000円の新茶を奮発。



和束の先の八王子神社から本格的な登りに。
5分ほど頑張ってみるも、すぐ押しになってしまいます。



犬打峠
犬も嫌がるくらいきついので、鞭で打って登らせる峠という意味かな?



ようやく、ようやく、鷲峰山金胎寺の山門に到着。

標高は670mくらい。
いや~、たくさん”歩いた”。風が心地よい。



昼食は、和束で買った田舎鯖ずし。

本物の竹の皮で包んであります。

デカイ。切って無い。さすが田舎鯖ずし!
豪快にかぶりつきました。満腹。






この後、重たい腹を抱えながら山頂へ。
琵琶湖が望める山頂なんですが、今日はそこまで空気が澄んでませんでした。残念。


帰りは豪快に下りましたが、雨に会ってしまって、濡れた上に寒かったー。
でもなかなか楽しいランドナーツーリングでした。

往復50kmくらい。






この記事は、2011/5/14(土) 午後 6:47にYahooブログに掲載したものに、
加筆・修正し再掲載しています。

2019年10月5日土曜日

線路沿いの道




自転車での散歩中、線路沿いにずっと伸びている道を発見。
どこまで伸びているのだろうか。
のろのろと走って探索した。


チェーンが外れてしまったので一旦止まり、ついでに撮影。
こうしてみると、京都府南部の典型的な風景だった。







この記事は、2010/10/23(土) 午後 5:29にYahooブログに掲載したものに、
加筆・修正し再掲載しています。

2019年10月4日金曜日

秋の気配の神野山へ

秋の気配を探りに、奈良県北東部、山添村の神野山(やまぞえ村こうのやま)へ、
ランドナーを繰り出しました。 でも暑かったー。


山添村は、大和の青垣の山々の真っただ中。
ツアーオブジャパンの布目ダムでも有名な所です。



すすきの穂が出ている古墳の堀の道を過ぎ、




若草山の奥、春日山の林道を登って、




石切峠の茶屋を過ぎると、山間の田んぼ、集落が広がります。




ここから南へ進み、田原の集落を越えて、水間峠(みまとうげ)へ。




トンネルを迂回して峠(590m)を越える道もあるのですが、通行止め。

自転車なら何とかなりそうだけれど、
ほとんど使われていない道で、白骨死体なんか見つけてしまったら気分が悪くなりそう。
我慢してトンネルを走ります。



その後、布目ダム横を走り、さらに行くと神野山の入り口の北野集落。




自転車で走ったり押したり30分ほど登ると、めえめえ牧場です。

メデデデーとおっさんのような声で鳴いています。



ここで、遅い昼食とコーヒータイム。




頂上(標高617m)はここから10分くらい。
天気が良く、全方位よく見渡せました。

中央右寄りの山の字のような山が額井岳。
北に目をやれば滋賀の武奈ヶ岳、東は伊賀上野の市街地までもが一望でした。



まだ所々だけれど、秋の気配が感じられます。




出発が遅かったので、猿沢の池に着くころには真っ暗。




秋空は満喫できたけど、ちょっと疲れました。
走行距離 60km弱。
イメージ 11.



この記事は、2011/11/4(金) 午後 7:27にYahooブログに掲載したものに、
加筆・修正し再掲載しています。

2019年10月1日火曜日

トゥレーヌ自転車ガイド 1895年 その42 作者のBaroncelliさんについて














「自転車ガイド
 トゥレーヌ
 ロワール河岸の古城」1895年

を読みながら、
当時の自転車ツーリングを
空想しています。







GUIDES VÉLOCIPÉDIQUES RÉGIONAUX
LA TOURAINE
CHÂTEAUX DES BORDS DE LA LOIRE


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19世紀の「トゥレーヌ自転車ガイド ロワール河岸の古城めぐり」に沿って
空想の自転車旅を続けてきましたが、
この作者の事が少し知りたくなって、
代表作「Guide des Environs de Paris」(1891年)を入手してみました。



縦横は小ぶりですが、結構分厚い本です。 厚さ3.5cm。
パリから半径140km圏内の67コース+追加3コースの説明が、
480ページにわたって紹介されています。 図なし。全て文字!



目次と、行き先です。
イメージ 3



地図で見てみるとこんな感じ。
イメージ 2



これ、全部実走して調べたとしたら大したもんです。
ま、当時鉄道は既にあったので、最悪でも何とかパリに帰ることはできたでしょうが、
それでもスゲー。

今も昔も、すごい人はいつも居るというべきか、
はたまた自転車と言う乗り物が魅力的なので、常にこういう人を作るというべきか。



見開きページです。
イメージ 4



Baroncelliさんの肩書きらしきものが記されています。(茶文字が内容)



パリ周辺ガイド
140km圏内の詳細
他フランスの代表コースも

著者 A.DE BARONCELLI
UVF北部のチーフコンサルタント
CTCフランスのチーフコンサルタント



UVFはL'Union Vélocipédique de Franceの略で、今のフランス自転車連盟の前身。
この本の10年前、1881年2月6日に、
パリのカフェ・レ・マレンゴで結成されたそうです。



カフェ・レ・マレンゴ↓ cafe Le Marengo (※本当にコレかどうかは不明ですけど)
イメージ 5.




この記事は、2011/12/10(土) 午前 1:19にYahooブログに掲載したものに、
加筆・修正し再掲載しています。

2019年9月30日月曜日

トゥレーヌ自転車ガイド 1895年 その41 トゥール観光オプションコース3













「自転車ガイド
 トゥレーヌ
 ロワール河岸の古城」1895年

を読みながら、
当時の自転車ツーリングを
空想しています。







GUIDES VÉLOCIPÉDIQUES RÉGIONAUX
LA TOURAINE
CHÂTEAUX DES BORDS DE LA LOIRE



オルレアン、シャンボール、ブロワ、アンボワーズを経て、トゥールに到着。
トゥール観光を終えて、郊外オプションコース観光です。
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オプションコースはもうひとつあります。


[ここからが案内文]  (茶色の文字が解読結果です。)


他、トゥール郊外の楽しいコース:
ヴィランドリーへの道(2.8km --- 前述)に右折して入り、
シェール川を渡ってサン=ソヴァール(1.5km)の集落から、
鍾乳洞と石灰水のアートのサヴォニエール(11km)に向かう。


イメージ 1.



サヴォニエール SAVONNIERES



鍾乳洞で有名な所
SAVONNIERES, Les Caves gouttieres Objets en cours de petrification

石灰水をかけて作ったオブジェ、作品がたくさんあるようです。


フランスアクセに少し説明があります。



サヴォニエールからヴィランドリー(3km)へ向かい、
教会と城を観たあと、シェール川を渡る。



ヴィランドリー城 VILLANDRY, Vue d'ensemble du Chateau

ルネッサンス様式。なんでも、庭が素敵とか。


前庭と堀 VILLANDRY, Le Chateau avant-cours  et ecuries



サン=テティエンヌ教会 VILLANDRY, Eglise de Villandry

最初のチャペルサン=ロッシュは、
5世紀につくられたようですが19世紀に壊されたようです。
今の四角いチャペルは11世紀のもの。



シェール川を渡ったら、対岸で右へ曲がり、川沿いの道を行く。

サヴォニエールの駅(5km)から先、トゥールへの戻り方は2通りある。

ひとつは、シェール川沿いにそのままサン=ソヴァール(11.5km)まで行き、
そこからトゥール(4.3km)へ戻る。

もう一つは、左へ行き線路を越えロワール河岸の道を辿ってサン=ジュヌフへ向かう。
サン=ジュヌフからは、ラ・リシュの郊外を通ってトゥールへ戻る。



サン=ジュヌフ




サン=ジュヌフのロワール河岸




とまぁ、こんな感じでロワール河岸の自転車旅は続くわけです。
まだ全行程の半分も行ってないのですが、でもだいたい雰囲気は判りました。




ーおわりー


この記事は、2011/12/7(水) 午後 10:31にYahooブログに掲載したものに、
加筆・修正し再掲載しています。

2019年9月29日日曜日

トゥレーヌ自転車ガイド 1895年 その40 トゥール観光オプションコース2














「自転車ガイド
 トゥレーヌ
 ロワール河岸の古城」1895年

を読みながら、
当時の自転車ツーリングを
空想しています。







GUIDES VÉLOCIPÉDIQUES RÉGIONAUX
LA TOURAINE
CHÂTEAUX DES BORDS DE LA LOIRE



オルレアン、シャンボール、ブロワ、アンボワーズを経て、トゥールに到着。
トゥール観光を終えて、郊外オプションコース観光です。
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サン=タヴェルタンからプレシ・レ・トゥール城へ向かいましょう。


[ここからが案内文]  (茶色の文字が解読結果です。)


サン=タベルタンからは、シェール川を渡り、
この川の右岸にそってロワール川への水路まで少し走る。(1.5km)


サン=タヴェルタンの橋 St AVERTIN, Entree du Pont

なんだかホラーっぽい絵柄。


.



この水路の岸を走り、ロワール川(2.3km)まで行って、
そこで左に折れて、堤防沿いの道をトゥールのオテル・ド・ヴュイユの広場方向へ行く。


(※今のラ・キテーヌ通り沿いに、
 19世紀前半に技術者のコルミエ氏に作られた水路があったようです。
 ただ、今は通りの名前(カナル通り)に痕跡があるのみです。)


この広場を通過して、
 ポンヌフ通り、
 ラ・ポワッソヌリ通り(※魚市場通り?)
 ポール・ブルターニュ通りを経て、
 シャン・ド・マルスへ着いたら、プルイリー通りを左へ進む。

騎兵隊の兵舎の右側へ行って、ルイ・デスムーラン広場を横切って
ラ・リシュ(1.5km)の門から出る。

街を出て、2つ目の通りを左へ行くと、プレシ・レ・トゥール城(1km)、
ルイ11世がここで亡くなり、今は農民の住居になってしまっている有名なこの城へ
直接行く事ができる。


(※ "今"とは1895年当時ですね)



プレシ・レ・トゥール城 Le Plessis les Tours

ルネッサンス様式でルイ11世が没した城だそうです。
元々はもっと大きかったようですが、いまは一部だけが残っています。


今、別の角度から見たところ



トゥール(2.5km)へは、同じ道を戻る。



ーつづくー


この記事は、2011/12/6(火) 午後 10:22にYahooブログに掲載したものに、
加筆・修正し再掲載しています。