2020年1月20日月曜日

ランドナーでの初ツーリング記録 おまけ 寝台特急日本海

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寝台特急日本海
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10年前に初ランドナーツーリングで青森へ行ってからその約3年後、
寂しいニュースが飛び込んできた。



鉄ちゃんを自ら名乗るほどには詳しくは無いのだけれど、
単純に電車・列車・鉄道は大好き。

ランドナーを運んで青森をツーリングした時も、あえて寝台特急で輪行した。



そんな忘れられない列車「日本海」が2012年3月17日で無くなったと
ニュースで知った。



京都駅0番線で出発を待つ日本海。



この列車にはA寝台とB寝台があって、Aの方が5,000円も高い。


どちらにしようか迷ったが、最初で最後かもしれないと思ったのでAを奮発。
今考えると適切な選択だった。



A寝台は真ん中に通路があって、左右の寝台は進行方向に向かっている。
発着時に揺れても、目が覚めにくいというのが5,000円の価値なのかも。



列車の外装に合わせた内装





ウイークデーだった事もあり、車両に数人しか客がいない。
狭い通路に自転車を置いても文句は言われなかった。







夜まではまだ時間がある。
確か琵琶湖の北側、湖西線を走っているとき。




各個室寝台の他に、車両ごとに一対だけ座れるスペースがあった。
朝5時ごろ、東能代でおりるためにこのスペースでスタンバイしていたら、
なんと車掌さんが起こしに来てくれたっけ!




帰りも青森駅から「日本海」に乗った。
乗客は往きより多かったが、
それでも横に置いた自転車が往来の邪魔になってこまるという事はなかった。








この列車が無くなると聞いてとても寂しい。


ちゃんと走りきれていない弘西林道にもう一度行くチャンスがあったとしても、
この列車に乗るところからはやり直せないからね。



どうしてくれるんだ日本海!



本記事は、2012/3/18(日) 午後 6:50にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年1月19日日曜日

ランドナーでの初ツーリング記録 その11

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下北半島 仏が浦
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10年前の初ランドナーツーリング、青森の記録。
陸奥湾を渡り、脇野沢から下北半島を攻めます。
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6:30、脇野沢から本州最北端の大間崎へ向かって下北半島の海峡ラインを北上。



「海峡ライン」という名前にしては、道はどんどん山へ分け入っていく。




でも時折、谷間から海を覗かせてもくれる。




小学生くらいの時、自転車がブームだったと思う。

自分の周りにも、日本一周したお兄さんの話などがちらほらとあった。
その時、自分の足で遠くへ行く事をカッコいいと感じた記憶がある。


50を前にして会社生活で一番の長期休暇を取ることができるようになった時、
この機会を逃さず自分もやってみたいと思い立った。


メインはもちろん白神山地の峠越えで、
せっかく初めての青森だから、聞いたことがある地名、
津軽半島、竜飛岬、下北半島、大間埼、薬研温泉、酸ケ湯温泉なんかに
自転車で立ち寄れたら最高だろう。

そんな思いつき自転車ツーリストを、
白神山地と青森はいい天気と厳しい坂で迎えてくれた。



でも、いい天気もそろそろ終わりの気配。



そこら中で、北限の野生猿の生活痕を見つけながら、山深い雰囲気の中を進む。





9:00 ゆとりパーキング到着。




持参の湯沸かし器でコーヒータイム。




と、この時、恐ろしいくらいに荷物を満載した自転車が
疾風の如く霧の中を通り過ぎて行きった。

あまりにも突然のことだったので、細かいところはよく判らないが、
オーストリッチの黄色いレインカバーが凄い迫力を醸し出していた。


1-2分でいいからどんなところを走ったか聞きたかったなぁと思う。
でもあれだけ荷物を積んでいると停止するのも大変だろう。
脇野沢発のフェリーに乗るため急いでいたのかもしれない。



今日は、この地点が最高点なので、あとは楽勝(のはず)。



仏ヶ浦を見学し、






すぐさま、標高200mくらいまで引っ張り上げられ、




恐山の一角らしき山に迫り、




また、漁港まで引きずり降ろされたりするパターンを数度、




予定の大間埼の手前、16kmあたりの佐井港で撃沈。




翌日から雨という予報を聞いて、これ以上走り続ける気力が萎えてしまい、
ここで自転車でのツーリングを終わりにした。



当初の目算では、このあと、
山中の「あすなろライン」というダート林道を越えて薬研温泉へ走るつもりだったが、
自転車を担いだまま交通機関を用いて、
大間崎、薬研温泉、酸ケ湯温泉をめぐり、青森駅から帰路に着いた。


もう少し執念があれば、
尻屋埼、八戸、自走して酸ケ湯温泉・八甲田山という軌跡が残せたかも。
でもまあ、中途半端も自分らしさと受け止めた。


自分的には納得できた自転車ツーリングだった。





10年後の今読み返して思う。
この自転車ツーリングは、当時は会社生活のリフレッシュのつもりだった。
でももしかすると、もっと大きな何かのわかれ道だったのかもしれない。




ーおわりー


本記事は、2009/6/6(土) 午後 5:17にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年1月13日月曜日

ランドナーでの初ツーリング記録 その10

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蟹田 陸奥湾 脇野沢
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10年前の初ランドナーツーリング、青森の記録。
霧の竜飛崎から、陸奥湾沿岸を南下しています。
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陸奥湾沿いの海岸線を蟹田に向かう。



おおむね平坦でありながら適度に起伏があり、
軽く登ったあとにはこのような景観を望むことができる。

陸奥湾の西海岸沿いは自転車ツーリング向きの道だ。
竜泊ラインにも少しは見習ってほしい。




途中、立ち寄ったコンビニで購入した地元色豊かなおにぎりや、
青森が本拠らしい工藤パン製の一口まんじゅうなどを食べながら、
いつも通りのんびり進む。



自転車ツーリングサイト地によさそうな、「おだいばオートビレッジ」に立ち寄り
スーパーカブで日本一周中の若者とエールを交換しながら、




ゆっくりのんびり進んでも、9:40には蟹田港に着いてしまいまった。
当たり前のことながら、地図上の水平距離だけで所要時間は読めない。

今日は、ここからフェリーに乗って下北半島の脇野沢へ飛び移る。




14:00発のフェリーまで、コーヒーを沸かしたり、
竜飛の霧で湿ったシュラフを干したり、
ツーリングまっぷるに載っていた近所の有名な食堂で昼食をとったり、
これまでのメモを見返してブログ構成を練ったりして時間をつぶす。


津軽半島の外側と違い、内側は穏やかな気候。
よい休養になった。



予定通り、むつ湾フェリーのかもしか号に乗り込み、
幸運を呼ぶと言われるイルカの群れを発見!




一方、行く手に見える下北半島の切り立った海岸線にいやな予感を覚えたりしながら、




15:00脇野沢港に到着。 その足で今日の宿、民宿ドームに入る。




民宿ドームの夕食は、フェリーから見えた幸運のイルカも追っていたイワシと鯛。


"天然"の鯛、いわしの刺身、ホタテの刺身



生ウニ、金目鯛吸い物、もずく、アンコウのとも和え、ホタテ焼き




陸奥湾では、海水温が高くない7月初旬までと9月以降で漁ができる天気の良い時が、
うまい魚に出会うチャンスとの事。



翌朝も新鮮な鰯尽くし(焼き鰯、酢漬け、骨まで食べれる鰯味噌汁)。
これらををすべて平らげ、おひつも空にして、宿に別れを告げ6:30出発。

大間埼へ向かって、陸奥湾沿いの海峡ラインの北上を開始した。



ーつづくー


本記事は、2009/6/5(金) 午後 6:08にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年1月12日日曜日

ランドナーでの初ツーリング記録 その9

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霧の竜飛崎
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初ランドナーツーリング、青森へ出かけた10年前の記録です。
険しい竜泊ラインを越えてシーズンオフの竜飛崎に着きました。
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風が吹きすさぶ龍飛崎シーサイドパークで一人寂しくテントを設営すること1時間、
タルタルーガに乗って日本中を回っているという若者も、遅れて合流してきた。


前日「つがる地球村」で一緒だったその若者と
「竜泊ラインはひでー坂だったなぁ」などと話しながら、
わびしくインスタントラーメンを食べ、19:30には寝てしまった。
(またも店は全部閉まっていた。)



翌朝はすごい霧だった。



タルタルーガの若者と別れ、
前日行きそびれていた灯台や有名な階段国道を見学し、
その後、陸奥湾側の海岸線を楽しみながら南下する。
昆布って種とか苗とかがあるのか。知らなかった。



昨日、竜飛岬に着くころから気になっていたのだが、
「不審者注意」とか「何かあったらすぐ警察へ」などという看板があちこちに出ている。

今日も早朝にも関わらず、パトカーや自衛隊の車が隊列を組んで通り過ぎていった。


何かあったのだろうか?
30年前の写真に基づいて中途半端に日本人に化けたやつなどと思われないかと
心配しながら、陸奥湾沿いの道を進んだのだった。



ーつづくー


本記事は、2009/6/5(金) 午後 1:45にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年1月11日土曜日

ランドナーでの初ツーリング記録 その8

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津軽半島 竜泊ライン
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初ランドナーツーリング、10年前の記録です。
津軽平野を北上し竜飛崎まで目と鼻の先と思ったのですが....。
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今日の目的地、「竜飛岬」までは直線距離ではあと8km程度。

ツーリングマップルでは、道は蛇行しているように見えるが、
まぁ大した事無かろうとたかをくくっていた。。。。



14:00ごろ登り始める。しかし20-30m進んだだけでさっそく押し。




その後、海岸線沿いの高さ数十メートル程度の緩やかな登りを進むと、
突然道は山に向かって曲がり、山岳道路に変貌した。




振り返ると、来た道が一望できるが、



目指す眺望所ははるか上空。



帰ってきてから見たGoogleMapでは自転車ではつらい道だという事は判る。
しかし持っていたツーリングマップルでは、
日本海の海岸を一望とか北海道の眺望などいい事しか目につかなかった。




アラフィフのおっさんが30年前の自転車でツーリングすることなんか全く考えずに
道路をつくりやがって!(当然か?)などと毒づきながら、押し登る。


時折通る観光バスの乗客が奇異の目をむける。
野生の猿もガードレールの上に座ってこちらを見ている。



15:50、2時間近くの格闘の末、眺望所に到達。
確かに眺望が素晴らしい! 竜飛崎が、そしてその向こうに北海道が見える。



でも風が寒い。
冷たい風が目と耳と指先にしみてきて、本当に凍えそうに泣いてしまった。


休憩もほとんど取らず、防寒のため雨具を着て駆けおり、16:30竜飛岬へ到着。




津軽海峡冬景色の記念碑の見学もそこそこに、
季節はずれの平日、誰もいないテント場(龍飛崎シーサイドパーク)へ急ぎ、
びゅーびゅーと風が吹く中、夕日を楽しむ余裕もなくテントを設営したのだった。



ーつづくー


本記事は、2009/6/5(金) 午後 1:45にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。

2020年1月5日日曜日

ランドナーでの初ツーリング記録 その7

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津軽半島 磯松海岸
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初ランドナーツーリング、10年前の記録です。
つがる地球村から津軽平野を北上し、竜飛崎へ。
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すっかり早寝早起きの癖がつき、夜明けと同時につがる地球村を発つ。



弘西林道でバーストした後ろのタイヤを交換したので、前とタイヤの色が違う。



それにしても酷いパッキング。何から何までヘタ。
この写真は、一時期2chでイジられていた。

それはそれでうれしかったのは事実だが、
タイヤの選択ミスと言い、くくりつけただけのパッキングと言い、
何とかしないとランドナーツーリングの魅力が伝わらないなと自省したことを思い出す。



今日は広大な津軽平野を北上し竜飛岬へ向かう。
ほぼ平坦な行程(のはず)





りんご畑。
ど真ん中の木がりんごの木。こんなにも太いのか。




豊かそうな農家




レンガ造りの蔵




映画に出てきそうな学校




雲ひとつない快晴、無風、暑くなく寒くもない
居眠り運転しそうなくらい楽ちんな気候の中を北上し、
9:00には十三湖とその向こうに小泊(こどまり)の岬が見えるところまで到達。




時間が余り気味だと感じたので、古そうな店でゆっくりしじみを買う。

この時、大粒しじみを家族と実家に送ったのだが、どちらも
「大きくて最初ハマグリかと思った。こんなうまいしじみ食べたことがない。」
という感想だった。

今も大粒しじみはあるのだろうか。




10:30ごろ、磯松海岸沿いの昆布の香りの道をすすむ。



このあたりからフリースを脱ぎ、11:50小泊を通過。
少し厳しい坂を登って、12:30道の駅で昼食をとる。
「今が旬、ヤリイカと若生(わかおい)昆布のおにぎり」というおにぎり。






地図では、竜飛崎は、もう目と鼻の先。
余った時間をどう使おうかなどと考えていたのだが、とんでもない!
ここからが、予想外の厳しい上りが始まったのだった。





ーつづくー



本記事は、2009/6/5(金) 午前 0:37にYahooブログに掲載したものに、
追加・修正を加えたものです。