2019年8月12日月曜日

ツール・ド・フランス 1935年 ピレネーステージ その10

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ウイングナット ペリシェ




















Le Miroir des sports
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ




ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー


いろんな地名が出てきてややこしいので、
この辺で本ステージ、リュション―ポーのコースにある峠の整理を。


この図は、ピエール・ロックの「IL TAPPONE」を読んだ時の舞台コース説明図です。

イメージ 1



5ページ目下の解説記事部分のつづき

(茶色の文字が解読結果です。)



ペルスールド峠からの下りでは、
選手たちが巻き上げるひどい砂埃の中を、我々は追いかけた。




この間何もレポートしようがない状況だったが、
それを抜けるとすぐアスパン峠の登りが始まった。




アスパン峠もペルスールド峠に似て、緑に覆われひんやりとした空気に包まれているが、
ペルスールドよりずっと厳しく、困難だった。

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(この写真の説明文)

アスパン峠(1,489m)へ

その登りは、谷間に見えるアローの集落を出てすぐに始まった。

傾斜はきつく、それはこのショットからもよくわかる。

黒っぽいジャージのベルギー勢が引っ張るも、
スイス選手アンベルグ、ハートマン(白っぽいジャージ)とフランス人ジアネロも
まだ食い下がっている。


(※)右奥の山々は、おそらく南東方向のスペインとの国境稜線。



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アロー集落からアスパン峠への登りの拡大地図↓
上の写真は、最初の谷に入って、大きく折り返した途中あたりのショットでしょう。
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(この写真の説明文)

アスパン峠へ

シルフェーレが手を伸ばして、ライバルの様子を伺う。
リュオズィ(右)、モレリとベルギー勢がその後に続く。
皆、この砂利道を全速力で進んでいる。

(※)前の写真から少し登ったあたりのショットかと。



(本文の続き)

ベルギー勢は、二人のイタリア選手を車列に割り込ませず、
自分たちが守るべきリーダのペースを乱されないように腐心した。



その甲斐あってしばらくはうまく事が運び、
アスパン峠の頂上を、
例のトリオ、ロマン・マース、フェルファッケ、シルフェーレ・マースが首位で通過。

わずかに遅れてロウィエ、アンベルグ、ジアネロが通過した。



後続とのタイム差は、
 ハートマンに1分15秒、
 ポール・ショック(※1)
  見事な巻き返しでこの日の殊勲選手と言えるこのフランス人に2分10秒、
 2人のイタリア人、モレリとティアーニに2分20秒。



その後、
 3分遅れでジャン・アールツ、
 3分30秒遅れでたびたびパンクに見舞われたリュオズィ、
 4分遅れでコガン、
 6分5秒遅れでティエールバッハ(※2)ファヨル(※3)
  プリオール(※4)、ステトラー(※5)
 7分30秒遅れでスペシェ、シャルル・ペリシェ(※6)
  バーナードニ(※7)、アーシャンボー(※8)
  ベノア・ファウル(※9)、カルドナ(※10)
 12分30秒遅れでハンドルが壊れてしまった"悲劇"のヴィエトが続いた。



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(※1) Paul Chocque ポール・ショック
フランス人選手
ツーリスト・ルーティエクラス参加
笑顔がいい選手!
シクロクロスもやっていた人のようです。

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(※2) Oskar Thierbach
オスカル・ティエールバッハ
ドイツナショナルチーム




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(※3)Fernand Fayolle
フェルナン・ファヨル(右側の人)
フランス人
ツーリストルーティエクラス参加
左は、フェルナン・コルネ1m90cm
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(※4)Antonio Prior
アントニオ・プリオール
スペインナショナルチーム
別名アントワーヌ・プリウール
諸般の事情で改名したそうです。


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(※5)Kurt Stettler クルト・ステトラー
スイス人、個人参加
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(※6)Charles Pélissier シャルル・ペリシェ
ペリシェ3兄弟の3番目
1930年のツールで8ステージ勝利
1回で8勝はいまだにレコード
しかもその年2位が7ステージも!
とwikipediaにあります。
この年も第2ステージ勝利
個人参加


ペリシェは自転車やパーツのブランドにもなっています。
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ペリシェのウイングナットは、それは軽いんです。
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(※7) Oreste Bernardoni
オレスト・バーナードニ
フランス人
ツーリストルーティエクラス参加
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(※8) Maurice Archambaud
モーリス・アーシャンボー
フランスナショナルチーム
背が1m54cmと小柄
1937年に1時間での最長記録を樹立、
5年後にファウスト・コッピに破られる
まで保持者だった。
との事です。
この写真では小さい人には見えませんね
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(※9) Benoît Faure ベノア・ファウル
フランス人
ツーリスト・ルーティエクラス参加
兄弟のウージェーヌも自転車選手
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(※10) Salvador Cardona
サルバドール・カルドナ
スペインナショナルチーム
1935,36年の
ツール・ド・エスパーニャ優勝



ーつづくー

この記事は、2016/2/11(木) 午後 1:53にYahooブログに掲載した記事に
加筆・修正し再掲載したものです。