2019年8月14日水曜日

ツール・ド・フランス 1935年 ピレネーステージ ラスト


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Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ




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16ページ、裏表紙です。
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(茶色の文字が解読結果です。)

次号発売:パリは金曜、プロヴァンスは土曜




標高2,114mのトゥルマレ峠に最初に到達したフランス選手は、
熱狂的な歓迎を受ける。




旗を振るベレー帽の男は、最初の自国選手に沸く観衆の王様。

(※) ジョルジュ・ビスコです。その3参照




そしてその選手は、
ヴィエトでも、リュオズィでも、ベノワ・フォーレ、ジアネロでもなく、
バレージュへの下りへ早く突入しようと力を振り絞って登る
ツーリスト・ルーティエクラスのパリジャン、ポール・ショックだった。




彼はここトゥルマレ峠を5位で通過するも、ポーでは、
2人のイタリア選手モレリ、ティアーニ、
4人のベルギー選手シルフェーレ、フェルファッケ、ロマン・マース、ロウィエ、
そして素晴らしいラストスパートを見せた2人のフランス人選手、
スペシェとアーシャンボーに次いで9位だった。



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ーおわりー


本シリーズ解読の最後に。
いつの日か、日本人選手がツールのステージ勝利を飾り、
さらに総合優勝を飾る時に、生きて居合わせることができますように。


この記事は、2016/12/18(日) 午後5:02にYahooブログに掲載した記事に
加筆・修正し再掲載したものです。