2019年8月13日火曜日

ツール・ド・フランス 1935年 ピレネーステージ その13


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Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ



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10~11ページ目のつづきです。
(茶色の文字が解読結果です。)


身近になった山岳コース


長大なピレネーステージ、
四峠とも呼ばれるその名の由来の峠は、最近まで人の目に触れることすら無かった。




白状すると、
我々は、それらの峠も、麓の集落で作られていたらしい案山子(※1)の事も、
話には聞いていても、実際にはほとんど知らなかった。

(※1) 谷間の集落の一つであるカンパンの集落では、
古くから、古着などを用いてmounaque(ムナク?)と呼ばれる人形を作って、
街道沿いに並べる風習があるそうです。
最近ではピレネーの高地のみならず、周辺の集落にまで広がって、
名物になっているそうです。


なぜなら。。。

ピレネーに目を向けても、
はるかな岩峰の先端にしがみついている綿花のような小さな点々を除けば
白いものは雲さえない青空に目を奪われるから。

ペルスールドとアスパンの森の斜面と、
トゥルマレの最上部の緑の草地が陽の光に映え、
オービスクの乾いたごつごつとした岩肌が
思いがけなくきらきらと明るく反射するさまに心躍るから。

と、自分でも訳のわからない苦し紛れの言い訳ついでに付け加えると、
シルク・デ・リトール(※2)もそんな良く知らないものの中の一つだった。



スロールとオービスクの両峠の間にあり、
山の頂上まで続く巨大な岩壁の中腹に、心もとない幅の道が長く続く。



垂直壁につけられたひっかき傷のような景観と聞くととても険しく厳しそうだが、
行ってみると、それほど怖い場所でもなかった。


(※2) cirque de Litor シルク・デ・リトール
今は、cirque du Litor シルク・デュ・リトールと呼ぶようですが、
氷河に削られた巨大なカール地形の縁に沿って迂回するルートです。


地図でいうとこのあたり↓
イメージ 3


厳しさという点では、
前ステージのペルピニャン-リュション、
分厚い霧、雨、泥の中、325kmにわたる距離を12時間もかけて、
悪路を走った二日前のステージの方が上だった。



そんな四峠を訪れるファンは、ここ数年で激増した。

特にトゥルマレには、
この地域の旅行業者がこぞってツール・ド・フランス観戦ツアーを売り出し、
多くの人が来るようになった。

観光地らしくなるにつれ、ひと気のない山奥につきまとう不気味さも薄れてきた。



もちろん、峠間の坂道の過酷さは相変わらずだ。

ペルスールドを越えるために1,545mを、
アスパンでは1,489mを、
トゥルマレでは2,114mを、
ピレネー最後のオービスクには1,748mを、
選手たちは、それぞれこぎ登らなければならない。



それでも、道そのものは年々良くなっている。
トゥルマレとオービスクでは、たった4,5年の間に拡張、整備が進み、
岩屑やへこみは見かけなくなっている。



今や、選手の唯一最大の障害物、最大の敵は群衆だ。

彼らは、山の斜面をジグザグに進むコースに沿って連なり、
数メートルの高さもの埃を立てるものだから、雲の塊のように遠くからでもわかる程だ。



しかし、それも心配に及ばない。
まもなくトゥルマレは全線舗装される。




(※)人知れぬ山奥が、ツール・ド・フランスのおかげでどんどん身近になり、
  楽しみの範囲が増えたという論調のようです。
  今なら、何たる自然破壊!と非難されそうですけど。



今回の解読は難しかったのでした。
内容もですが、どの方向へ読むのかに迷ってしまって。
正しいつながりは、①→②→③→④→⑤なのですが、
①→④と読み進んで、一時わけがわからなくなってしまいました。
イメージ 4

今回の原文部分です。
イメージ 5



ーつづくー

この記事は、2016/4/3(日) 午後4:44にYahooブログに掲載した記事に
加筆・修正し再掲載したものです。