Le Miroir des sports
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ
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(茶色の文字が解読結果です。)
”風前の灯”のイタリアが、四峠のステージで手にした勝利
[特別配信]ポー、日曜夜
峠でのせめぎ合い
このステージの出発点リュションでの下馬評はといえば、
ベルギー勢はきっと、
前ステージ、ペルピニャン-リュションのステージでの快進撃(※1)の後、
少し疲れが出るに違いない。
そして、しぶといヴィエト(※2)がこれまでの不調から立ち直るか、
あるいは、スペシェ(※3)が疲れの見えるベルギー勢について行って、
機を見て抜け出るという展開が期待される。
というものだった。
(※1) 第15ステージ
ベルギー勢が1-2-3フィニッシュを成し遂げています。
(※2) Rene Vietto ルネ・ヴィエト
前年に、有名な一件で一躍脚光を浴びたフランス人選手。
この下馬評でも分るように、この年、フランス国中の期待を
背負っていたはずです。
御覧の通りの男前で、当時汗臭いイメージの自転車ロードレースに、
多くの女性ファンを呼び込んだこと間違いなし。
この年のツールでは、第6、第9ステージに勝利。
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(※3) Georges Speicher ジョルジュ・スペシェ フランス人。
1932年、10代でツールデビュー。
この年のツールでは、第13ステージで勝利。
この写真のジャージは、THOMANNでしょう。
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ヴィエトは、
前ステージ、ペルピニャン-リュションで早過ぎたアタックが批判の的になったため
自重ぎみだったが、
それ以外のフランス勢は皆、
リュションを発ってすぐ見えてくるペルスールド峠の登りに差し掛かったあたりから、
果敢にアタックをかけた。
いや、むしろ恐る恐るという感じだったが、
少なくとも一瞬のチャンスでもあれば、ぐずぐずせず前へ出ようという姿勢が
見て取れた。
しかし、ベルギー勢も当然、
他国から常に揺さぶりをかけられるだろうことを分かっている。
盤石の最前線トリオ、
フェルファッケ、シルフェーレ・マース、ロウィエは、
少しでもリードを確保しようと、迷うことなく前進した。
彼らベルギー勢にとっては、
二人のイタリア人、モレリとティアーニがぴったりついてきた事は想定外だった。
二人は前ステージで大敗北を喫し、誰からも見放されていたからだ。
その二人を、ベルギー勢は、
一昨日、モン=ルイ(※4)の登りでヴィエトに仕掛けたように、
無理やり引き離しにかかった。
そしてそれが、
破綻とまではいかないまでも、かなりの苦境に自分たちを追い込み、
最後にはステージ敗北へとつながった。
まさに、自らを滅ぼす剣を研いでしまったと言えるだろう。
(※4) Mont-Louis モン=ルイ
フランスが17世紀に、
スペインに対する領土確保のためにヴォーバンに作った防衛施設が残る。
2008年にUNESCO世界遺産に登録。 だそうです。
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ーつづくー
この記事は、2016/1/7(木) 午後10:53にYahooブログに掲載した記事に
加筆・修正し再掲載したものです。