2019年8月9日金曜日

ツール・ド・フランス 1935年 ピレネーステージ その4

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Le Miroir des sports
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ




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(茶色の文字が解読結果です。)


[特派員レポート]

 月曜夜、ポーにて



ベルギーチームが、
前ステージゴールのリュションで、1-2-3フィニッシュの快挙を成し遂げ、
今回のツールの優勝はもう決まりというムードになっていた。




しかし、4つの有名な峠、
 ペルスールド、アスパン、トゥルマレ、オービスク
を越えるリュション-ポーのピレネーステージで、
不死身のイタリア人二人、モレリとティアーニが大逆襲を果たし、
また勝利の行方が混沌としてきた。




ロマン・マースは相変わらずマイヨー・ジョーヌを守ってはいるが、
物静かで不気味なモレリも3分以内の総合2位にひたひたと迫ってきている。




この予想外の展開によって、
第29回ツール・ド・フランスからまた目が離せなくなってきた。




 驚かせてくれる彼ら


生き残ったアルプスの向こう側(※イタリアの事)二人の選手、
モレリとティアーニによるこんな突然で、こんな予想外な復活劇は、
これまでのツール・ド・フランスでは前代未聞のことだ。




イタリア国内の大会でなら時々あるらしいのだが、
この底知れなさが特徴のイタリアチームに注目してみよう。




このアルプスの向こう側のイタリアのファンは、
メンバーがすんなりとは決まらず、つぎはぎ感が否めない自国チームに
当初大きな期待はよせていなかった。




案の定、ステージが進むにつれ、
競争相手に付いていくために無理してペースを上げたので、
多くの脱落者を出すはめになった。




チームキャプテンのマルタノ(※1)は、いやいやスパートさせられ、
リール - シャルルヴィルの間(※第2ステージです)最初にリタイヤ。
(※1) ジウセッペ・マルタノ、
Giuseppe Martano、
イタリアナショナルチーム



さらに、脱落者が出つづけるが、
どれも崇高な”殉教者”とあがめるには今ひとつパッとしない。




北の地獄(※パリ-ルーベの事)で石畳に豪快にたたきつけられるふうでもなく、
灼熱と土埃の夏にやられたわけでもなく、
これぞツールドフランスというような派手なクラッシュでもない。




ジェストリ(※2)は、アルプスの最初のステージで一人で転落し、
ベルトーニ(※3)は、エヴィアン-エクス・レ・バン間で故障した。
(※2) エウジェニオ・ジェストリ
Eugenio Gestri、
個人参加、第6ステージ棄権
IL TIRRENO
(※3) レモ・ベルトーニ、
Remo Bertoni 、
イタリアナショナルチーム、
第8ステージ棄権




ヴィグノリ(※4)も、
ガリビエ峠のステージでは素晴らしい走りを見せていたのに、
知らない間に順位表から消えていた。

きまぐれなディ・パコ(*5)も、カンヌ-マルセイユ間で、
暑さにやられていなくなった。
(※4) アドリアーノ・ヴィグノリ
Adriano Vignoli、
イタリアナショナルチーム、
第7ステージ棄権

(※5) ラファエレ・ディ・パコ、
Raffaele Di Paco、
イタリアナショナルチーム
第12ステージ棄権
ロバートデニーロ似!



長くて苦しいペルピニャン-リュションのステージでは、
ナイスガイのカムッソ(※6)が伴走車にはねられてしまった。



またベルガマスキ(※7)、ジャコッベ(※8)、そしてリモルディ(※9)も、
疲れやあきらめから戦意喪失し、ほとんどのイタリア人選手が撤退してしまった。
(※7) ヴァスコ・ベルガマスキ
Vasco Bergamaschi
イタリアナショナルチーム
15ステージ棄権
この年のジロで総合優勝する人です。
(※8) ルイージ・ジャコッベ
Luigi Giacobbe
イタリアナショナルチーム
15ステージ棄権

(※9) ピエトロ・リモルディ、Pietro Rimoldi、イタリア人、個人参加、15ステージ棄権
   写真がネット上で見つかりませんでした。




ーつづくー

この記事は、2012/7/21(土)午後3:28 Yahooブログに掲載した記事に
加筆・修正し再掲載したものです。