2019年8月12日月曜日

ツール・ド・フランス 1935年 ピレネーステージ その11


ジョルジュ・スペシェ



















Le Miroir des sports
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ




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5ページ目下の解説記事部分のつづき、アスパン峠から先の状況です。


ここまで盤石のチームワークで、
キャプテンのロマン・マースの首位を守り通してきたベルギーチーム。

だが、ツール最大の山岳コースで、
不死鳥のように蘇ったイタリアの2選手、モレリとティアーニが襲い掛かる。

山岳コースを苦手とするベルギーチームの運命やいかに!




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(茶色の文字が解読結果です。)


しかしアスパン峠を先頭で通過したベルギー勢も
イタリア勢に対するマークで消耗し、峠を過ぎてから徐々に失速し始めた。




さらに、トゥルマレ峠への途中、
ロマン・マースはパンク、
フェルファッケもクリップから足が外れてしまい、
名高いその峠の頂ではチームメイトのシルフェーレ・マースが首位通過も、
モレリにたった3秒差、ティアーニに5秒差、フェルファッケに14秒差と
もはやベルギー勢が優位とは言えなくなった。




後続は、
 ショックが2分5秒遅れ、
 ロマン・マースとロウィエが2分34秒遅れ、
 アンベルグ3分48秒、
 ベノワ・フォーレ5分48秒、
 アールツ5分54秒、
 ファヨル8分41秒、
 コガン9分23秒
 ヴィエト、スペシェ、ジアネロ、アーシャンボー、カルドナとハートマン9分40秒、
 シャルル・ペリシェ10分26秒の、
それぞれ遅れだった。



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(この写真の説明文)

白く埃っぽいトゥルマレへの道、
ティアーニ(白い帽子)とモレリは、
峠の上でまた合流することになるシルフェーレ・マースに対し
カーブの手前でわずかに前へ出た。



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(この写真の説明文)
男たちの最後の山場ピレネーでの苦闘

トゥルマレへの道で、
ティアーニ(白い帽子)とモレリ、
ツールに緊張感を呼び戻したこの2人が抜け出て通過した。

(※) 見えるのはシルエットだけですけど。



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(この写真の説明文)

ダンシングでトゥルマレのてっぺんへ向かう
ロマン・マースのための精鋭で救世主のロウィエ。彼のつらく苦しい仕事中の一枚。



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(この写真の説明文)

トゥルマレ、第16ステージのピレネー4大峠の3番目の頂上で。

4人が計ったように6メートル間隔で通過していった。
順に、シルフェーレ・マース、モレリ、テアーニ、そしてフェルファッケ。





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(本文のつづき)


トゥルマレからの下りはやはり埃っぽい道だった。

ベルギー勢は陣形を崩され、
レース前には風前の灯だったイタリア人が加護を得たように速度を増したのは、
登りの時と同じだった。




アルジェレスへ下り始めてすぐのバレージュ集落で、
イタリア人モレリとティアーニは、
後続に差をつけること
 フェルファッケに30秒、
 パンクに見舞われたシルフェーレ・マースに3分、
 ロマン・マースとロウィエに3分15秒、
 ショックなどに3分50秒
だった。

(※) 急激に差が広がってます。




イメージ 3


そのころから、
イタリア勢が解き放たれたようにどんどん前へ出ていくのと対照的に、
ベルギー勢は焦りで落ち着きをなくしはじめた。




3番目の峠、オービスク峠でのタイム差を見ると、
一人抜け出したモレリが、
 これまで従えてきたティアーニに2分10秒、
 まるで歩兵隊と化してしまったベルギー勢、
 ロマン・マース、フェルファッケ、シルフェーレ・マース、ロウィエに9分、
 パンクに見舞われたショックに9分、
 スペシェに11分26秒、
 アーシャンボーに14分35秒、
 ベノワ・フォーレに16分50秒、
 カルドナに17分5秒、
 ヴィエトに17分50秒、
それぞれ差をつけた。



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(この写真の説明文)

あとひとつ!
二人のイタリア選手にとっては、スロール峠(1,656m)を登り切れば、
トルト(1,650m)とオービスク(1,748m)の両峠はもらったも同然だ。



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(この写真の説明文)

アルジェレスを発って、スロール峠へのつづら折れを登るスペシェも苦しそうに見える。




イメージ 13

(この写真の説明文)

オービスク、最も厳しい登りの峠へ:

ロマン・マースは、窮屈な人込みを避けるように前へ出て、
シルフェール、フェルファッケ、ロウィエが続いた。



(本文のつづき)

そして、ここからは、オー=ボンヌからの下り、
ツール・ド・フランス最後の山岳ステージのさらにそのフィナーレ、
ポーへまっすぐ向かう道を、ペダルをどんどん回すだけの痛快なスプリントだ。

過酷な前進は終わりをつげ、勝ち残った者だけが味わうことができる至福の一瞬だ。




イメージ 4



5ページ目の上の写真の状況ですね。




この時まだ、ロマン・マースは後方でマイヨジョーヌを失う危機と苦闘していた。

もしオービスクの下で、
チームキャプテンを引っ張る役割を忠実に果たそうとするタフなフェルファッケと
合流できていなければ、
今大会の最初からずっと守り通してきたマイヨジョーヌを
モレリに奪われてしまっただろう。




R. H.

(※)レイモン・ユティエ



ーつづくー

この記事は、2016/2/14(日) 午後 6:02にYahooブログに掲載した記事に
加筆・修正し再掲載したものです。