2019年8月9日金曜日

ツール・ド・フランス 1935年 ピレネーステージ その2

トゥルマレ峠へ向けて






Le Miroir des Sports 1935/7/25 ル・ツール特集。




このフランス週刊スポーツ紙は、
Le Petit Parisien傘下のもと、1920年から1944年まで発行されました。


戦後はBut et Blubと名を変えて、
1951年から1968まで続いたそうです。(fr.wikipedia.org)



解読した結果がとんでもない間違いをしていないかどうかや、
人名はどう読むのかなどは、この本で調べます。
ご存知、安家達也「ツール100話」未知谷社です。


これによると、1935年はまだ変速機の使用が認められていない時代で、
優勝はベルギー人のロマン・マースです。



2ページ目左上写真


(茶色の文字が説明文の解読結果です。)



リュションで敗北を喫したイタリア人モレリは、そこで落胆するどころか逆に発奮した。
(※ 前ステージのペルピニャン-リュションでは、
   ベルギーのシルフェーレ・マースが勝利)



トゥルマレ峠(2,114m)へ向けて、向こう側の谷から川沿いをジグザグに登る道で、
ティアーニ(先頭)とモレリ(右側、帽子無し)は必死に逃げ続けたが、
シルフェーレ・マース(奥)はここで追いつき、峠の頂上では数メートルだが前へも出た。






しかしその後オービスク峠では、この二人のイタリア人がまた先頭で通過する。



ーつづくー

この記事は、2012/7/14(土)午後10:43 Yahooブログに掲載した記事に
加筆・修正し再掲載したものです。